『HALLOWEEN ハロウィーン』って何か知りたい!? その1
2005/10/23 Sun 09:21
今日『スローフード』についての公演が、PSU(Portland State University←キャンパスはポートランドのダウンタウン)であって聞きにいったので、ファーマーズ・マーケットも、PSUで行なわれているものに行ってきました。もちろん、ECOフレンドリーなわたしなので自転車に乗っていってきたんだけれど、疲れた。ほどよい疲れなんていうのは通り越して、帰ってきたら足はガクガク、お尻も痛い。問題は距離ではなくて、我が家がMt. Tabor(テイバー山)の2合目あたりに位置しているのが問題。この山、死火山ですがとっても標高は低い。ということは、運動不足か!?坂道を延々登りつづけるのって、どうしてこんなにつらいんだろう…。さて、疲れた話はどうでもよくて、それから『スローフード』についてはまた別の日に書くとして、今日はハロウィーンについて!
マーケットでも、沢山、沢山、パンプキンやスクワッシュが売っていました。もうすぐだから、急いでおさらいです。
ハロウィーンのはじまりは?
ハロウィーンの歴史は古く、ケルト人のフェスティバル『Samhain(ソーエン)』が起源だといわれています。ケルト人は約2,000年前に、現在のアイルランド、イギリス、北フランスの地域に住んでいた民族です。彼らは、10月31日に1年が終わり、11月1日から新年が始まる暦を使用していました。元旦である11月1日には、生から死への移り代わりを意味するというフェスティバルである『Samhain』で、新年を祝っていました。またこの日は、夏の終わりと収穫の終わりを意味し、暗く寒い冬の始まりを意味していました。
この新年のはじまりの前日である10月31日には、亡くなった人々の魂が、来年1年取り付く生身の人間を探しに戻ってくると信じられていたのです。そんな魂に宿られたくない村人たちは、家の中の火を消して、獲りつかれないように自分たちを冷たくし、とりつくには好ましくないように見せかけたり、悪鬼の格好をし、近所中をパレードしたそうです。また、このセレブレーションの終わりには、これから始まる長く暗い冬から人々を保護する祈りを込めて、聖なるオークの大木で焚火をしたそうです。
年月がたち、古代ローマ人がケルト族の領土において大多数となっていきました。西暦800年ごろまでには、キリスト教がケルト族の領土に広まり、7世紀に11月1日は、カソリック教徒の聖人を讃える儀式である万聖節『All Saint's Day』と定められました。これはのちに、『All Hallows』もしくは『All Hallowmas』と呼ばれ、その前夜にあたる『All Hallows Eve』(10月31日)が、Halloweenの名前の由来であると言われています。
また9世紀のヨーロッパでは、11月2日を死者に敬意を示す、『All Souls Day』と定めました。このセレブレーションは、焚火を炊いたり、パレードをしたり、仮装をしたりと、とても『Samhain』に似たものでした。この『The Eve of All Saint’s』、『All Saint’s 』 、『All Souls』の3日間が『Hallowmas』と呼ばれました。
アメリカにおいての“Trick-or-Treat”の習慣は、11月2日に行われていたカソリック教徒の、『All Souls Day』の習わしに起源があるのではないかと言われています。この『All Souls Day』のフェスティバル中に、貧しい市民たちは食べ物を乞いに家々を回りました。彼らは、訪れた家の亡くなった親族に祈りをささげるという約束のもとに、“Soul Cake”というスグリの実の入った四角いケーキ(パン)を乞らいました。この頃人々は祈りを唱えることで、亡くなった魂が早く天国に行くことができると信じていたからです。この習わしが、“Trick-or-Treat”の由来だと考えられています。
今日はここまで
>>>Part 2はかぼちゃのランタンの話<<<
つづく…
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ハロウィーンのはじまりは?
ハロウィーンの歴史は古く、ケルト人のフェスティバル『Samhain(ソーエン)』が起源だといわれています。ケルト人は約2,000年前に、現在のアイルランド、イギリス、北フランスの地域に住んでいた民族です。彼らは、10月31日に1年が終わり、11月1日から新年が始まる暦を使用していました。元旦である11月1日には、生から死への移り代わりを意味するというフェスティバルである『Samhain』で、新年を祝っていました。またこの日は、夏の終わりと収穫の終わりを意味し、暗く寒い冬の始まりを意味していました。
この新年のはじまりの前日である10月31日には、亡くなった人々の魂が、来年1年取り付く生身の人間を探しに戻ってくると信じられていたのです。そんな魂に宿られたくない村人たちは、家の中の火を消して、獲りつかれないように自分たちを冷たくし、とりつくには好ましくないように見せかけたり、悪鬼の格好をし、近所中をパレードしたそうです。また、このセレブレーションの終わりには、これから始まる長く暗い冬から人々を保護する祈りを込めて、聖なるオークの大木で焚火をしたそうです。
年月がたち、古代ローマ人がケルト族の領土において大多数となっていきました。西暦800年ごろまでには、キリスト教がケルト族の領土に広まり、7世紀に11月1日は、カソリック教徒の聖人を讃える儀式である万聖節『All Saint's Day』と定められました。これはのちに、『All Hallows』もしくは『All Hallowmas』と呼ばれ、その前夜にあたる『All Hallows Eve』(10月31日)が、Halloweenの名前の由来であると言われています。
また9世紀のヨーロッパでは、11月2日を死者に敬意を示す、『All Souls Day』と定めました。このセレブレーションは、焚火を炊いたり、パレードをしたり、仮装をしたりと、とても『Samhain』に似たものでした。この『The Eve of All Saint’s』、『All Saint’s 』 、『All Souls』の3日間が『Hallowmas』と呼ばれました。
アメリカにおいての“Trick-or-Treat”の習慣は、11月2日に行われていたカソリック教徒の、『All Souls Day』の習わしに起源があるのではないかと言われています。この『All Souls Day』のフェスティバル中に、貧しい市民たちは食べ物を乞いに家々を回りました。彼らは、訪れた家の亡くなった親族に祈りをささげるという約束のもとに、“Soul Cake”というスグリの実の入った四角いケーキ(パン)を乞らいました。この頃人々は祈りを唱えることで、亡くなった魂が早く天国に行くことができると信じていたからです。この習わしが、“Trick-or-Treat”の由来だと考えられています。
今日はここまで
>>>Part 2はかぼちゃのランタンの話<<<
つづく…
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お菓子をもらい歩くだけ・・・ではないとは思っていましたがいろいろな文化が入り混じって今の形になっているというのが何とも米国らしいですよね。
クリスマスも好きなのですが
ハロウィンのデコレーションのほうが
雰囲気が出ていてもっと好きなんですよね♪
jessicaさん宅もハロウィン仕様なんですか??
ご近所を歩いていると、日に日にパンプキンの数が増えてオレンジ色が目立つようになってきました。このあたりでは、あまり飾り付けをするお宅がないのですが、それでもこの季節ならではの雰囲気を楽しめます。我が家は、あまりハロウィン仕様ではないかな!?玄関先に、パンプキンが幾つか並んでいるくらいです。
ドイツでは、お盆にお墓参りに皆さん行くのですね。アメリカはどうなんだろう?夫の家族は、遠い他州に住んでいるから、わたしにはこの習慣についてはわからい。今晩にでも、聞いてみましょう。そうそうアメリカでは、もっと長持ちタイプの造花がほとんどのようです。